自民党 国立追悼施設建設の動き
自民党の国立追悼施設建設の話は、1953年米国のニクソン副大統領が来日したさい、靖国への参拝を拒否されたことに始まります。外国要人が追悼できる国の施設の建設を目指すが、靖国の遺族会の強い政治力に反対されうやむやになってしまいます。1960年~1970年にかけて「靖国神社国家護持法案」が、自民党主導で計5回国会に提出されたのですが、政教分離に抵触するとして野党に反対され、靖国側は国家の管理化に置かれることにより、拝礼形式の自由化、鳥居など施設の名称変更などに応じられないとして態度を硬化、結局この法案は総て廃案となった。1978年、戦争責任を問われたA級戦犯が靖国に合祀されたことにより、その後総理をはじめ閣僚の靖国参拝は中国、韓国との間で外交問題に発展する。政府はA級戦犯分祀について靖国と話し合うが、解決の糸口は見出せないまま小泉総理の参拝が続いた。そうした中で、小泉総理の発案により当時の福田康夫官房長官の下で「追悼、平和祈念のための記念碑等施設のあり方を考える懇談会」が設置され、「国立の無宗教施設が必要」との提言がまとめられるが、自民党内や遺族会の靖国が唯一の追悼施設であるとの、強い反対意見によりうやむやになつている。総裁選を前に麻生外相から、非宗教法人化の私案が発表された。これは一度靖国を自主解散した後に「特殊法人」として靖国を国立追悼施設に改変するとした安であるが、実現には難題が多くハ-ドルが高い。こうして見てくると自民党の内には未だに、明治天皇の意向による国家の施設としての靖国神社と、敗戦後国家神道が廃止され、宗教法人となった靖国神社との間に生まれた溝を、正しく認識されていない議員が多くいる様に思えて成りません。これでは国立の追悼施設建設の話は前進しませんね。次期総理には強い指導力を発揮し、この話を是非解決してもらいたいものです。
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